国鉄(JR)大社線 旧大社駅跡 後編
- 2021/02/08
- 01:21
国鉄(JR)大社線 旧大社駅跡 後編のレポ動画を上げました。
前編動画はこちら
https://youtu.be/2cYCEC3ql2I
上記動画使用の画像をこちらにUPしましたのでじっくり見たい方はどうぞ。

1915年における大社線沿線の地図。
1910年に山陰本線は出雲今市(現・出雲市)まで開通した後、1912年にその延長上に大社線が開通した。
これは出雲今市より西の区間の山陰本線の延長(1913年)より早い。

同時期の出雲大社周辺。
大社の門前が栄える中、大社駅は川向うの離れた場所に開設され周辺はやや寂し気。
これは旧来からの参詣路である市場通り・馬場通りの商店街が駅の立地で対立したため、利害の対立しない場所に駅をつくらねばならなかった為。
駅が出来た当初は直進して大社へ向かう道がなく、旧参詣路へ迂回しなければならない不便が生じたが、のちに島根県知事の主導で最短経路の参詣路である現在の神門通りが開通した。

前回の続きより、通路を渡って中ホームまで来た。
3番線にはD51 774号機が静態保存されている。
この機関車は本州最後の蒸気機関車の定期運用車で伯備線をはしり、引退後は出雲大社で保管。
その後、2001年に大社町施行50周年記念の施策の一つとして旧大社駅に移管された。

中ホームから駅舎を望む。
レールが錆び草生している事を除けば現役駅舎のよう。
実際に観光組合事務所として現役な訳だが。

構内北側のホームが途切れた所まできた。
ここまでくるとあまり手入れもされず草生し低木も伸びている。

大社のある北側の見る。
かつての機回し線跡は砂利の駐車場にされている。
既にレールの剥がされ何も残っていないように見えるが・・・

残っているのである、レールが。
しかもポイント跡である。
撤去に面倒だったのか?工事予算が足りず剥がせなかったのか?

廃線マニアも多く訪れる大社駅だが機回し線跡まで来る人は少ないようで、このレールを知る人は少なさそうだ。
自分も唐突出てきたポイント跡に驚いたしニンマリした。
文化財に指定された駅舎も素晴らしいが、マニア的にはひっそりも残る隠れた遺産も愛おしくて溜まらない。

レールの先にも遺物が。
水路を渡る橋の橋台跡が2つ。

回り込んで水路向こうへ。
路地を渡る踏切の遮断機の台座も残っていた。

路地の先の機回し線跡は民家敷地となり痕跡は無さそう。

1976年の大社駅上空。(国土変遷アーカイブを加工して作成)
機回し線はだいぶ奥まで伸びていたようだ。
この機回し線、本来はもう少し大社よりにできるはずだった予定線の敷地だったのではないか、という妄想を抱かせる。

大社駅より望む神門通りの大鳥居。
当初の計画通りの大社近くに駅が出来れば、生き延びれたんじゃないかと思ってしまう。
電化されサンライズ出雲が大社駅に入線してくる景色がみたかったなぁ。