三菱大夕張鉄道遺構群① 清水沢駅
- 2021/12/19
- 19:01
大夕張鉄道遺構群レポの動画を上げました。
以下、同動画のブログ版となりますが、こちらは三か所分割でのレポとなります。
まずは清水沢駅から。

2016年時の石勝線の清水沢駅。
石勝線夕張支線は2019年4月1日に廃止されたが、この時はまだ現役。
しかし、駅舎の一部窓はベニヤ板で塞がれ既に生気を失ったかのような姿であった。

跨線橋から見下ろす清水沢駅坑内。
かつては多くの石炭貨車が並んでいた貨物ヤードの線路は既に無く、文字通り島ホームとなって孤立している。
このホームが駅舎寄りにないのは、1987年に廃止された三菱鉱業大夕張鉄道が使用していたスペースだからだ

(上記画像はwikiより)
まだ大夕張鉄道があった頃の清水沢駅。
ディーゼル機関車に牽引された客車がホームに停車中。
大夕張鉄道は廃線時まで気動車を導入せずにいた。
これは業務のメインが運炭であり、旅客はついでと言う感じだったからであろう。
運賃もかなり安く設定され初乗り40円、南大夕張駅までで60円。
廃線の1987年時の鉄道運賃として日本最安値クラスであった。

(上記画像はwikiより)
歴史としては1911年に清水沢ー二股(のち南大夕張)まで開通、1928年に北部炭鉱の開発に合わせ通洞(のち大夕張炭山)まで延長された。最盛期には沿線炭鉱から採掘された石炭、夕張岳から伐採された木材を運び、旅客でも炭鉱マンの通勤や家族の通学・買い物に利用された。
特に大夕張炭鉱周辺地区は1962年まで車道が無く、大夕張鉄道が唯一の外部への交通手段であった。

(上記画像はwikiより)
しかし70年代にはいると石油へのエネルギー転換が進み炭業衰退化し始め1973年に三菱大夕張炭鉱が閉山する共に南大夕張ー大夕張炭山が部分廃止となる。
南大夕張エリアは比較的新しい炭鉱で設備も整い採掘がしばらく続けられたが、1985年に坑道内で大規模ガス爆発事故が発生し死者62人を出す惨事となった。
事故で大きな被害を出した上、海外産の廉価な輸入炭にも対抗できず事業削減を迫られた三菱石炭鉱業は清水沢ー南大夕張の廃止を1987年に決定することになる。

大夕張鉄道廃止から31年後の2019年3月31日、前述の通りJR石勝線夕張支線(元・国鉄夕張線)もまた廃止となる。
これにより清水沢駅も廃止、夕張の石炭輸送担った鉄路が完全に消える事になった。
以下の動画は廃止後の清水沢駅である。
2021年の時点では線路が草生してる以外は殆どそのままであるが、これがいつまで残されるかはわからない。
次は31年前に廃止となった大夕張鉄道の南清水沢駅跡へ向かう。
続く。