東海道新幹線 貨物新幹線未成分岐点
- 2018/01/03
- 23:41
より大きな地図で 八島廃路マップ を表示

JRの千里丘駅から、てくてくと歩くこと50分ほど。
安威川を渡る橋の上から寝屋川の町の方を望むと、その間に新幹線の高架が見える。
その高架の上にもう一段高架を乗せるような橋脚らしきコンクリ構造物があるが、クレーンで只今撤去中というような様である。
今日はこいつに会うために18切符で大阪までやってきた。
この構造物は東海道新幹線を走るはずだった貨物用新幹線の貨物ターミナルへ向かう引き込み線の分岐施設だ。
新幹線開業時からある施設ながら使われることなく放置され、遂に撤去される事になったのである。

更に歩いて撤去現場へ。
ぶった切られてますなー。

この高架の上の橋脚の上にはオーバーハングするように橋桁が乗せられていた。
橋桁はあったが前後は繋がれておらず、ただここだけポコンと橋桁が乗せられていただけと言う空虚な構造物であった。
本来なら貨物ターミナルへ向かう下り線が本線上を跨いでいくはずだった。

反対側に廻る。
上り線高架がいわゆる『イカの耳』状態になっている。
ここで貨物ターミナルから東京方面へ向かうレールが合流する箇所になるはずだったのだろう。

『分岐』より大阪側を見れば新幹線高架と並行して続く細長い駐車場。
貨物新幹線の未成区間の転用なのは明らか。

高架横を辿っていくと府道15号線跨いで東海道新幹線鳥飼車両基地に当たる。
貨物新幹線はその更に向こうにある大阪貨物ターミナルへ至るはずであった。

見づらい写真で申し訳ないが、道路橋の欄干向こうに鉄道橋が架かっているのが見えるだろう。
現在あの線路が大阪貨物ターミナルと東海道本線を結び物流ルートを形成している。
東海道新幹線が開通したのが1964年(昭和39年)なのに対し、大阪貨物ターミナルができたのは1982年(昭和57年)とだいぶ後である。
東海道新幹線に貨物列車を運行することは初期の段階で計画され土地も取得し設備も用意されていたのだが、インフレによる工事費の倍増により『とりあえず棚上げ』となり旅客列車運行に注力する事になった。
また、貨物列車は旅客列車終了後の深夜に運行する事になっていて、週1運休して保線にあてる予定だったのが開業してみればハードな運用に毎夜保線をしなければならない状況でとても貨物列車を走らせる余裕などなくなってしまったのである。
一方で建設前は物流のメインであった鉄道が徐々にトラック輸送にシフト、更に東名・名神高速の開通により東海道物流の主役の座は車へと移っていく事になる。
ダイヤ改正ごとに増発を重ねる新幹線に対し、以前はパンク寸前だった東海道本線のダイヤに余裕が出来始め貨物列車も悠々運行出来るようになり、無理して新幹線に貨物列車を走らせなくても・・・という状況になってしまった。
無用の長物としまった貨物新幹線の設備と土地だが、その後に通常の新幹線の車両基地や在来貨物のターミナルに利用し、前述のとおり大阪貨物ターミナルも在来貨物用として開業。
しかし、大阪貨物ターミナルへの引き込み線の分岐施設は再利用されることなく放置された。
新幹線開業から半世紀経って施設の劣化が進み各所で補修・改修される中、この機会に不要設備である未成分岐点も撤去される事になったのだが、高速・高密度で車両が行きかう中で工事が行える時間は限られる
工期は2回に分けられ、2012年8月から2014年2月に1回目、そして2015年9月から再開し2017年で完了と、断続的ながら5年もかけた長期工事となった。

スローペースで進んだ撤去作業も終わり、今はもう跡形もなくなっているだろう。
夜の東海道を走る貨物新幹線は実現しなかったが、津軽海峡の底を行く青函トンネルでは三線軌条方式で新幹線と貨物列車が共存することになった。
現状、貨物列車の荷物へのすれ違い時の影響を防ぐために新幹線側が140kmに制限されていて、北海道新幹線の速度上のネックゾーンとなっている。
これを解消するため新幹線路線専用の貨車にコンテナ積み替え、もしくは大型貨車にそのまま狭軌貨車を積込むトレインオントレイン方式を採用して200kmで走る高速貨物列車が検討されている。
果たして北の大地を行く貨物新幹線は実現するや、否や。
【2016年12月25日探索】