厚木基地引込線②
- 2018/01/19
- 22:46

街路と並んで東名高速の上を渡る。

高速からこの場所を何回も見ていたが、逆に見下ろすのは初めてなので新鮮。
下から見ると現役線のように見えるが、すでに樹木の侵略を受けてるぐらいに放置プレイである。

この鉄道橋の方は『大和6号橋』と言う名前だそうだ。

隣の街路の橋は『大和5号橋』。
ぴったりくっ付いてるので併用橋に見えるが別の橋になっている。

東名高速を超えた先も閑静な住宅地。
すぐそばに軍事基地があるとは思えないほど。

しかし道路挟んで線路の向かいには在日米軍関係者用の駐車場。
一気にミリタリーの匂いがしだいに強くなる。

カーブに沿って歩くと立ち並ぶ民家の向こうに物々しいレーダー施設。

カーブ抜けてストレートの先はよいよ米軍厚木基地。
ここまで現役時の設備が殆ど残されていたのに対し、フェンスの向こうはレールがきれいさっぱり消えていた。
基地手前のレール上にはミカンの木による侵略。
航空隊のF/A-18が迎撃に来るぞ。

基地手前の線路横の用地も防衛省管理地となっている。

基地手前で微妙に広がる鉄道敷地。
ここで米軍側と敷地内へ入る為に何かやり取りが行われていたのかもしれない。

架線終端は基地内。
基地内の線路撤去後、架線終端も敷地外にすれば良かったのでは無いかと思うが、何か理由があるのか?

フェンスの内側と外側では異なる世界。
こちらは日本国施政下、向こう側は日本国土内にあるアメリカ合衆国。
大日本帝国としての航空基地としては僅か3年、米軍基地としてはそれより遥かに長い60年以上の月日が流れた。
8月15日の終戦直後、首都防衛を担った厚木基地航空隊は降伏を受け入れず単独で米英と戦うと宣言し、反乱状態に陥った。
軍幹部や皇族まで基地に訪れ説得に当たるが頑なに基地指令の小園大佐は拒む。
だがしばらくして小園大佐がマラリアで倒れた所を抑えられ強制的に軍病院送られ、基地内の抗戦派も排除し厚木基地の『反乱』は8月21日で終わった。
そして8月30日、降伏した日本を占領統治するために、あのレイバンのサングラスをかけた将軍『ダグラス・マッカーサー』がこの基地にやってくるのである。
最も米軍に降伏する事を抵抗した基地が、その後に最も米軍の太平洋・アジア方面で重要な基地として使われたのは何かの皮肉か。
21世紀に入って米軍の再編成と基地周辺住民へ騒音公害軽減の為に艦載機部隊の本拠地を厚木から山口県の岩国基地に移す事が決まり、2017年より部隊移駐が始まった。(ただし、移動時の経由や緊急・非常時の使用は継続される)
実はこの引込線も『軍用地』として使用されていたのだが、この余波を受けてか地権者に返還される事が決定した。

このミカンの木の持ち主もレール設置場所の本来の地権者なのかもしれない。
だとしたら戦前の旧帝国海軍時代に接収され、終戦後もそのまま米軍用地となり60年以上経ってようやく手元に帰ってくるわけだ。
先ほど、ミカンの木の侵略と書いてしまったが、どちらかと言うと日米政府間の折衝を待たずして行われた個人によるレコンキスタともいえよう。(言えるのか?)
首都圏の極上廃線(休止線)の一つともいえる厚木基地引込線も間もなく消える事になりそうだ。
興味のある方はお早めに。
【探索日2016年1月3日】